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2025.12.3 07:00政治・経済

<本家コロナ真理教の人々④>【モラルとしてのマスク】

<本家コロナ真理教の人々④>byカイジロウ

【モラルとしてのマスク】

 

 社会のモラルに関するバイアスには様々なものがあります。社会的望ましさバイアス(社会的に好ましく思われる行動や態度をとる)※①自己奉仕バイアス(成功は自分の能力や努力のせいにし、失敗は運や他者など外的要因のせいにする)※②確証バイアス(自分の信念や期待を裏付ける情報ばかりを集め、反対する情報を無視する)※③。人とは実に厄介な存在です。

 更にはモラル・ライセンシングという言葉があります※④。これは自らの善行と引き替えにモラルの逸脱を正当化する免罪符のような心情で、マスカーの論理はこれに近いものがあると思われます。

 私は臆病と非科学を同時に曝け出すマスク姿など恥ずかしくて人前で着けられたものではありませんが、マスカーを見ると意外と堂々としています。それはつまりマスクこそ正義で道徳的だと信じきっているからでしょう。感染は防げないという簡単な事が理解できない思考力の弱い者が、除霊の壺のようにマスクに群がり、恐怖を糊塗して居直るモラルライセンシングな行為。これがマスカー心情の根幹で、その病理には根深いものがあります。

 16世紀の宗教改革のきっかけの一つは、腐敗したカトリック教会が贖宥状(免罪符)を販売したことでした。これを買えば罪が許される出鱈目な論理もさることながら、1mmの科学もない免罪符に「教会の言うことだから」と従った大衆を、私たちはうまく理解できません。

 しかし翻ってコロナ禍中の我々はどうでしたでしょうか。売上の干上がった飲食店は、「感染症対策医の言うとおり」に20:00以降の営業を自粛し、アクリルパーテーションを設置し、ソーシャルディスタンスを取ってマスクをしました。そしてそんな馬鹿げた感染対策の見返りとして「コロナ対策認定店」のお墨付きを求めたのです。これこそまさにモラルライセンシングな、令和時代の免罪符でした。

 モラルを辞書で引くと「倫理。道徳。習俗。また、生き方に対する真剣な反省」とあります。少なくともモラルは、自分が道徳的と見られたいというエゴとは対極にあるものでしょう。そして科学的理解をしようともせず、自分の生き方に真剣な反省のない人間に、モラルを語る資格はないのだと思います。

 

※①)社会的望ましさのバイアス(Wikipedia)
https://w.wiki/6DJz

※②)自己奉仕バイアス(Wikipedia)
https://w.wiki/CS75

※③)確証バイアス(Wikipedia)
https://w.wiki/3dtT

※④)モラル・ライセンシング(Wikipedia)
https://w.wiki/G4XH

 

『コロナ真理教の人々』『新コロナ真理教の人々』全リスト

<本家コロナ真理教の人々>
⓪ご挨拶
➀感染症専門家たち
②科学的見地からのマスク
③恐怖ポルノとしてのマスク

 

 


 

 

都内のある寺の門前には、
今でもこんな掲示があります。

以前はよくお参りした
お気に入りの場所だったのですが、
もう二度と立ち入ることはないと思います。

 

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